私の好きなディズニー映画ライオン・キング

ミュージカル劇団四季のライオン・キングはサバンナで生きるものたちの賢明さを目の前で感じられるほどすばらしい作品になります。


私が初めてディズニーのビデオを買ったのもライオン・キングです。


ビデオというところが懐かしさを感じるものの、それだけ長年に渡って愛される作品になります。


不思議なことに作品の一瞬一瞬を憶えてしまうほど見てもまた見たくなってしまうでしょう。


2019年8月に実写化され、アニメとひと味違うリアルなサバンナの世界のストーリーに目が釘付けになるかもしれません。


実写化というくらいだから登場する動物たちはすべて本物で収録した細かい部分を編集しただけと思ったものの、現代の技術はスゴすぎです。


動物たちの表情や毛並みの動きも自然に見える一方、フルCGになります。


ストーリーの中で[ライオンが寝ている]をミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァが寝ているライオンを見てアカペラで歌うものの、彼らにとってみれば本来なら脅威である猛獣が目の前で寝ているなんて不思議すぎな光景です。


その気持ちを歌っているところが面白いと思います。


ライオンたちが笑っているのを見たことない私にとても珍しさを感じ、The Lion smilesと置き換えられるほどその表情に純粋さを感じるでしょう。


ミュージックアーティスト並みの歌を披露していく2人がこのストーリーのキーワードを歌に乗せて主人公であるシンバの心の傷を癒していきます。


その歌の合言葉はHakuna Matata。


呪文のように聞こえるこの言葉はスワヒリ語で[どうにかなるさ]という意味です。


あれ、日本のどこかで同じような言葉を聞いたことありませんか。


そう、沖縄の言葉[なんくるないさ]です。


意味はもっと深くて一言で表せない大事な言葉である一方、ライオン・キングの世界に入り込むとこれが中心となってストーリーが進んでいるのでないかと思えちゃうほど頭の中はリンクしっぱなしになります。


きっとガッテンしていただけるでしょう。


次期王であるシンバはプライド・ランドの王であり、父のムファサから日々の中で多くのことを学びます。


早く王になりたい気持ちを[王様になるのが待ちきれない]の曲に乗せて自信たっぷりに歌う姿が幼稚園の歌の時間みたいでカワイイですよ。


やんちゃなシンバと幼なじみのナラは禁じられた場所へ向かってしまい、待ち構えていたハイエナたちの罠にはまりました。


互いに度胸試しみたいな雰囲気もあったり、ナラの強気の姿勢にこちらも勇気をもらえたりするほどです。


でもムファサが助けにこなければハイエナたちに食べられていたかもしれません。


戦いが終わった後、ムファサはシンバを失うのでないかという恐怖心を抱いたことを話すのでした。


いけないことをすればどのような危険が身に振りかかるか教え、自分たちの幸せがどのようなことか伝えられるなんて正に誰もが羨む理想のパパだと思います。


こんなふうに自分のことを大切にしてくれる人がいたらとても幸せで1度言われたいです。


大切なものを必死で守り抜く姿は生るものすべてに共通すると感じました。


でもムファサは命を落とし、シンバは罪の重さにプライド・ランドを追放されるのでした。


そこで出会ったのがHakuna Matata、悩まずに生きることを知ります。


確かに悩んでしまってはその元でしか解決できないことがたくさんあるでしょう。


考えても多くが思う通りにいかないし、実際に行動しないとわからないこともありますよね。


時間が過ぎなければ解決できないこともあるものの、シンバの場合はすべて仕組まれた出来事です。


シンバは追放されたことにより、一族にも命を落としたと告げられます。


私はすべて知っていてシンバにエールを送る一方、ことの発端を知らなければ目の前の事実しか大きく見えないでしょう。


その後のプライド・ランドはムファサとシンバを邪魔者にしていたスカーが政権を握り、日を追うごとに荒れていきます。


なぜかというとスカーに協力していた食欲旺盛なハイエナたちが周囲を気にすることなく好き勝手に暮らしていたからです。


でもサバンナは多くの生き物が独自の手段で命を育み、空腹になると狩りが始まるのは当然かと思いますよね。


だとするとなぜ荒れ果てるのか気になるでしょう。


「命あるものは釣り合いを取って生き、あらゆるものに敬意を払わなければならない」とムファサはシンバに伝えていました。


のちに荒れるプライド・ランドを目にするとそのことだけでなく、動物たちであってもその立場になって考えながら行動することが大切と言っているように思えたのです。


今まで自然豊かな大地だったのはムファサの気持ちがすべての生き物たちへ伝わっていたからかもしれません。


いやいや、伝わっていなかったとしても思いを持って行動する姿が誰もの目に映れば自然とその流れができるのです。


何かに強い思いを持って頑張る姿はスゴくキラキラして無条件で応援したくなり、協力できることを見つけると喜びが溢れてきませんか。


もしそうだとしたらムファサって人類よりも集団をまとめる力があるということでしょう。


だっていろいろな生態を持った動物たちが賛同するのはスゴすぎます。


そのサイクルが壊れていく中、シンバの一族は狩りなども制限をかけられてしまうのです。


なぜかというとスカーは王位を継いだ証しにムファサの妻であるサラビに妃になることをせまるものの、拒否されます。


状況を打破しようとナラは助けを求めて群を離れ、その先に立派に成長したシンバとの再会が待っていたのでした。


ナラは戻るようシンバを説得する一方、ことは簡単には運ばないのと同時に苦い過去と向き合うのは難しいかもしれません。


でもどんなことがあっても心の片隅にいつも一族のことや生まれ育った土地が気になっていたのでしょう。


シンバも戻りたい気持ちでいっぱいだったと思うし、呪術師のラフィキがそんな背中を押してくれます。


過去の苦悩からは逃げることも学ぶこともできると言うのです。


この意味がどのようなことを指すか疑問だったものの、次のシーンで私も学びました。


それは次に訪れるかもしれない失敗を防ぐ知識となり、「今のお前は本当のお前でない。

生きるべき世界で役目を果たせ。

」と喝を入れるのです。


この時、自分に照らし合わせて役目とは何か考えてなかなかピンポイントで見つけ出せません。


それは今も進行形である一方、やりたいことは何であってそれをどのようにしたいかが見つかりつつあるでしょう。


見つけた瞬間って[見つけた]と思えず、何となくもやもやした気持ちがスッキリ晴れたような自然とワクワクする感情が芽生えました。


きっとシンバも同じような体験をしたと思わざるをえないし、だからこそナラと命を懸けてプライド・ランドを守る闘いへ挑み歩んだはずです。


このシーン、どこかで見ていませんか。


幼いシンバとナラが禁じられた場所へ向かって行った時と同じであのころから運命の歯車が狂い始めていたでしょう。


シンバを思う気持ちも変わらないと伝えているように感じとれます。


戦いの果てにシンバたちが勝って命あるものたちがともに手をとり、次の命へつないでいくCircle of Lifeが新たに始まるのです。


失敗から学んで失敗することを避け、自分の生きるべき世界で役目を果すシンバのように王への一途な気持ちはまさに[なんくるないさ]そのものと思いました。


プログラミング 独学 稼ぐ